わたしの自由な思考

もっと自由に、もっと本質的に、思うこと。

平和という言葉は都合がいい

私の職場に平和活動を人生の軸に置いて

生きている女性がいる。

仕事もプライベートもすべて活動が最優先

という感じらしい。

活動内容はそのコミュニティで集まり親睦を

深めたり、署名を集めて市役所へ提出したり

原爆投下の日などは炊き出しなどをするそう。

 

彼女のやりたいことに口出しはしない

平和活動することで彼女の人生が幸せなの

だから。これからもそうしてほしい。

 

ここからは私の持論だったり、思うことを

書いていきたい。

 

まず平和とはどんな状態なの?と聞きたい。

争いのない世界?

核兵器撤廃?

戦争禁止?

 

大体返ってくる答えはこんな感じだ。

確かに争いはないに越したことはないし

核兵器を使われても困る

戦争だってなかった方がいい

では第二次世界大戦後からこの3つが世界

から無くなっていないのは何故だ?

 

国同士の覇権争いが無くならないから

ではないか?覇権争いといっても内部は

さらに複雑だが

ある程度大きな国や産業が成長してる国なら

どの国も自国を世界でトップにしたい

だってトップが大半のルールを決められる

現在トップのアメリカはトップを維持したい

世界のお金はアメリカドルで動いているけど

これはトップを狙うには大きな障壁になる

ということにも繋がる。だって国を支える

ものは自国の産業や企業、物資なのだから

 

頂点を目指す行為とは人間の欲の部分

人は欲を捨てきれない生き物だし

欲があったからこそここまで発展してきた

ただし欲があるから争いも起きる

いわば欲とは表裏一体

善にもなれば悪にもなりえる

 

108の煩悩という言葉があるように

欲を出さないなんてできないのだ。

人間の欲があるかぎり争いのない世界なんて

実現しないのだと私は思う。

 

2〜3歳でさえオモチャの取り合いをする。

争いがない世界とは人間そのものを否定

するのと一緒なのだ。

 

さらに歴史は強者こそが塗り替えてきたもの

有名な織田信長徳川家康は日本では

英雄のような扱いをされてはいるが

戦争で勝ったからこそ名前が残っている。

戦争に勝つためにどれだけの民衆が

戦に駆り出され戦わされたのか

どれだけの命が無くなったのまで考えた

ことがあるのだろうか?

 

私たちの犠牲は第二次世界大戦だけでは

ないのだ。もっともっと以前から争いは

絶えていないし、いくつもの命の犠牲の上に

歴史は作られていっている。

 

それは尊い犠牲か?

無かった方がよい犠牲だったのか?

そんなの誰にもわからないし答えられない

答えてはいけないとも思う。

人の命はそんなに軽くないはずだから。

 

今の世の中、人を殺めたら殺人罪に課せられ

長い刑務所暮らしや時には死刑が執行される

なのに万を超える民衆の命を犠牲に名を残した

偉人達は英雄扱い?おかしな話でしょ?

 

だから結局は戦や争いは無くならない

平和活動するならもっと本質的なものにも

目を向けてほしい。表面だけではなく

もっと深層の部分を追求してほしい。

 

それに知ってますか?ロシアが持っている

核兵器ツァーリボンバーは日本に落ちた

核兵器の約3.300倍の威力を持ってるんですよ

そんなの地球上でどんぱちされたら地球が

持たないし、住める地域が無くなってしまう

 

世界の平和を望む前に、まず自分の近くに

いる人たちと仲良くしたり、時には出来る

範囲で助け合いすることの方がよっぽど

平和に貢献できるのではないかと私は思う。

 

大きな争いになる前の小さなトラブルを

生まない努力も必要ではないでしょうか?

 

なので私はまず目の前にいる夫や兄弟、

両親を大切にしていこうと決めています。

 

これはあくまで私の持論や思うことなので

気分を害した人はすみません。